|
20世紀の日本を、そして戦後日本を代表する思想家(政治史思想史学者)丸山眞男は、大阪朝日新聞記者丸山幹治(1980〜1955)の次男として、1914(大正3)年大阪で生まれた。7歳で東京に転居、9歳で関東大震災に遭遇、東京府立一中(現・日比谷高校)から第一高等学校、東京帝大法学部政治学科へ進んだ。 その進路は典型的エリートのように見えるが、1933年一高3年生のとき、父の親友長谷川如是閑(1875〜1969)の講演を聴きに行き検挙・勾留、以後特高刑事や陸軍憲兵隊から思想犯被疑者として扱われる。 37年帝大法学部を卒業。南原繁に師事。40年同大学助教授。新設された東洋政治思想史講座を担当する。 44年7月、陸軍2等兵として応召、朝鮮平壌に派遣される。45年8月6日再招集されていた広島市宇品で原爆に遭遇し、被爆。その盤石にみえる軍国主義体制をいかに批判するか――戦時下に丸山は『日本政治思想史研究』(1952年)結実する論文をまとめる。 戦後46年、雑誌『世界』5月号に「超国家主義の論理と心理」を発表した丸山は、論壇の旗手となる。そして『現代政治の思想と行動』(1956-57年)にまとめられた諸論文は、丸山の戦後10年の日本社会の現実との格闘の軌跡である。 60年安保改定から70年代へ、丸山は運動の現場から書斎へと戻ってゆく。「歴史意識の「古層」」はこの時期の代表作である。ついに未完に終わったとはいえ、「正統と異端」をめぐる思想史構築への情熱は衰えなかった。 1970-80年代の日本各地のさまざまな地域へ出かけてのダベり、人間の交際は、書斎の人と見られがちな丸山の別の側面である。 93年末肝臓ガンが発見され、96年8月15日音楽を愛し映画を楽しみ、そして何より人間に尽きぬ興味を抱いた生涯を閉じた。被爆者健康手帳は申請せず、持たなかった。享年82歳。 |
| Copyright (C)2005-2011 Maruyama Masao Techo no Kai, All Rights Reserved |