追悼 筑紫哲也
 会員でジャーナリストの筑紫哲也氏が2008年11月7日逝去された。享年73歳。 お別れの会が12月19日グランドプリンスホテル赤坂「五色の間」で開かれた。
 筑紫氏は1935年6月23日大分県日田市生まれ。朝日新聞社時代に本誌編集委員安東仁兵衛と知り合い、筑紫氏が『朝日ジャーナル』副編集長だった1970年後半から丸山を囲む「楽しき会」(丸山がこう呼んだ。メンバーは安東・筑紫・石川真澄・岩見隆夫・松山幸雄・富森叡児・堤清二)でダベる会や安東・筑紫・石川・岩見の四名で丸山を囲む勉強会を行っている。そのうちの1回が本誌第1・2号に掲載された(「丸山眞男を囲む或る勉強会の記録」、「安全保障に関する、ある勉強会の記録――徴兵制の起源と人民の武装権」と改題のうえ、『丸山眞男話文集』第3巻)。
写真「伊豆山にて」  本誌創刊にあたっては、創刊号に「「下手な鉄砲」至福のとき」を寄稿され、丸山の1995年9月25日付書簡の一部を紹介された(丸山の筑紫氏宛の書簡は同年4月11日付のものとあわせ『丸山眞男書簡集』第5巻)。また、2002年8月15日の第3回「復初」の集いでは、『丸山眞男集』第8巻「月報」6に書かれた「蓮華窓の弟子」にちなんだ演題の講演「“蓮子窓”の弟子として――「多事争論」のことなど」をお願いした(本誌第23号)。
 写真は「伊豆山座談」(本誌第5・6号、「戦争とオペラをめぐる断想――伊豆山での対話」と改題のうえ『丸山話文集』第3巻)の行われた丸山の伊豆山のセカンドハウスのベランダで撮す(1994年8月10日)。次頁の筑紫氏の書簡は、自由民主党が惨敗した第21回参議院選挙の行われた2007年7月29日(同年5月14日のTBS「筑紫哲也 ニュース23」で、自身の肺癌を公表、翌日から闘病生活に入った。当日の同局参院選挙開票特別番組に声のみで出演した)の翌30日付で本誌編集委員の1人が送ったお見舞い状に対する返信である。
 本会の設立以来のご厚誼に感謝いたします。謹んでご冥福をお祈りいたします。
丸山眞男手帖の会編集部
画像「筑紫氏書簡」
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