| 追悼 小尾俊人 |
| 「ロマン・ロランにおける思想と行動」小尾俊人 |
| 『高原』第9号、鳳文書林、1949年1月 |
| 2011年8月15日未明、本誌編集委員のひとり小尾俊人氏が死去した。享年89歳。 生前最後の出席となった7月10日の編集会議の帰途、JR山手線の車中で事務局・島田紀子と本誌第58号に掲載した『高原』の註について話がおよび、小尾氏は「『高原』第9号のロマン・ロラン特集にちょっとしたものを書いた」と述べたが、その内容について多くを語ることはなかった。早速島田が今となっては入手困難な『高原』をインターネットで検索したところ、千葉県九十九里町の古書店にあり、注文をして到着を待つうちに小尾氏の訃報が伝えられた。『本が生まれるまで』(築地書館、1994年)をはじめとした小尾氏の著書には収録されておらず、小尾氏の生前には編集委員一同、目にすることができなかった論考である。みすず書房創業後まもなく編集責任者として多忙な日々を送る小尾氏の研究者としての側面、二足の草鞋を履いた若き日の小尾氏の精神と思想とを偲ぶものとして、追悼の意をこめて掲載する。 『高原』は1946年8月20日に鳳文書林から創刊された雑誌(編集人・掛川長平、1949年5月20日刊行の第10号で休刊。復刻版あり)。当時、長野県小諸、岩村田(現・佐久市)にいた文芸評論家の山室静が周囲に居住・疎開していた田部重治(1884〜1972、英文学者・登山家)、片山敏彦、堀辰雄、橋本福夫とその甥・掛川らと創刊した季刊文芸雑誌。誌名は堀辰雄の発案。田部らはデンマークの国民高等学校の精神をとりいれた浅間国民高等学校(高原学舎、学長・田部、主事・掛川)の建設に力を入れており、『高原』は学舎建設が進むなかで生み出されたものである。第9号のロマン・ロラン特集には小尾氏の論考のほか、ロマン・ロラン「『日記』より」「螺線形に登り行く道」、高田博厚(巴里)「師」、片山敏彦「ロランに於ける『美』の問題」などが掲載されている。 掲載にあたっては、編集部の判断で適宜句読点を補い、誤植と思われる箇所を訂正したほかは原文のまま掲載した。また著作権継承者の小尾イネ子氏の了承を得ている。文責はすべて編集部にある。
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